25歳
2021年5月28日
6月で今の会社に入社して1年と言うこともあり久しぶりに最近感じたことを記録する。
最近ふとした瞬間に自分の年齢について考えることがある。
友人達との何気ない会話の中でも、年齢について触れることが最近多くなった気がする。
自分の想像していた25歳はもっと「大人」であった。
「大人」という一言で表現している時点で今の自分はまだまだ幼稚だと多くの人が悟っただろうが、
実際まだまだ幼稚な部分があるので今はこの表現でいいのかもしれない。
友人達との会話でも、「もう俺たちも25歳か〜」といったような常套句を一度はみんなも聞き覚えがあるだろう。
経験上大抵その言葉が出るときは、3つのワードが関係すると思われる。
「金」「恋愛」「仕事」
この3つである。
例えば、「金」に関しては貯金の話や、給料の話、購入したものの金額を話した際の最後には年齢の話が出るであろう。
「恋愛」に関してもそうだ。彼女の有無や、結婚
「仕事」に関してもそうである。役職の話、新入社員の指導。転勤等の話が出た際は大抵みんな「25歳だもんな〜」という言葉が思ってもないのに口からでたり、感じたりするのではないだろうか。
この1番みんなが話をするであろう3つのキーワードに「25歳」が関係するということは
実は「25歳」は我々にとって、とてつもなく大切で多くの人間が人生を模索する、微妙な年齢ではないのか。
特に自分の周りには、大学を卒業して社会で活躍する友人、結婚を考えて交際をしている友人、結婚が考えられずに別れを決意した友人、転職を考える友人、今年から働き始めた友人、起業する友人、学生生活を送り勉学に励む友人。
など、挙げればキリがないほど色んな人生を送る友人達がいる。
同じ25歳なのに、これだけ多くの人生があるということは、まだ25歳という年齢は色んな分野に挑戦可能することもでき、多くの選択をすることができる、また進むだけではなく、後ろに下がることもできるそういった年齢でもあると考えた。
自分の生きてきた経験則を活かすと、より多くの選択肢で、悩み、決意し、進むということができる。学生時代に経験した青春なんかよりもはるかに「青春」なのではないか。
そうだ。自分は25歳で大人になれず、悩んで苦しみもがいてるのではなく、青春の真っ只中を走り抜けてるのではないか。
青春を謳歌することができるということはまだ子供ではないか。
そう結論づけた。